わたしのフィリピン青年海外協力隊日誌

2018年11月~2020年11月の二年間、JICA海外青年協力隊、コミュニティ開発隊員としてサマール島に派遣。バセイ町役場農業課に勤務。地域のおばちゃんたちと生計向上プロジェクトに奮闘中。現地弁、ワライワライ語にも奮闘中。

コンサバ文化とリベラル文化について

現在水疱瘡にかかって自宅療養中で、たっぷり時間があるので執筆しています。
(余談ですが、幼少期から超健康体の私は、大きな病気といったらインフル1回、手足口病1回、足ヒビ松葉杖1回、歯が折れてインプラントしかしたことがないです。)

 

6月半ばに家族の諸事情により2週間ほど帰省していました。主に東京と浜松におりました。
帰国後感じたことをずっと書こうと思っていたんですが、今になってしまった!

フィリピンに行く前、ちゃんとした留学などしたことのなかった私は日本の嫌なところたーくさん見えました。
おっさんやら会社のシステムやら女性としてチャンスがもらえないことや比べたり見た目をいじったりする文化やら集団行動やルールの窮屈さ、書ききれないほど色々あります。
そして他国に長く滞在して、だって母国なんだから日本のいいとこ見つかればいいな~くらいに考えてました。
でも今回帰国してみて目から鱗がボロボロ落ちるほど、日本のいいところ、また日本の悪いところも見えました。
(数多くの皆さんが同じような経験があると思うけれど、私なりに見えたところの自分記録です。)

 


成田空港に着いて、バスにのって最初に「うわーー道がきれい!(平らでボコボコっじゃなくて車がスイスイ走ってこれマリカで見た光景だ!!)」から始まり、私が感じた日本の良さは以下3つ。

 

①食の繊細さと選択肢の多さ(=私にとっての美味しさ)
やっぱり食べ物うまい。初めに自宅で牛乳飲んだ時、「牛乳うまあああああーー!!」って叫びました。フィリピンではいつも粉牛乳飲んでました。フィリピンで暑い気候と乳牛の管理の難しさから牛ミルクはほぼNZ・オーストラリアから輸入したるので高すぎる(一部水牛牛乳はありますが地域限定なのと、水牛は乳用牛とはまったく別もの)んです。ちなみに、彼らがフレッシュミルクと呼ぶ所謂紙パック牛乳もありますが、全ての菌を殺してるの(ゆえに賞味期限はとても長く常温管理可能)で日本の良い菌が残っている(要冷蔵のやつです)牛乳とは断然味が違います。
それからあらゆるもの、刺身、チーズ、ワイン、うどん、そば、天ぷら、ライ麦パン、親子丼、サバの佃煮、ほうれん草のお浸し、ゴーヤの柚漬物、豆乳、納豆などなど、どれも繊細な香りと味、全部味が違ってどれも楽しんで食べられる。東京であれば、日本食だけでなく、かなりレベルの高い多様な食材が手に入りますよね。ほんとうに泣くかと思うほど、身体が五感が喜んでいるという感覚でした。
日本で味わう食事が、わたしの舌にあう、それがまず気づいたことです。
でも、だからって「日本のごはんは誰にも世界でいちばん!!」っていうそんなアホなことが言いたいのではなく、これは私にとってあうってこと。日本で働くフィリピン人が自宅で毎日フィリピン料理(私にとってはなんてバラエティの少ない食事なの!!と思っても)を作って食べるのと同じように、多くの他国籍友達が母国の味を恋しくなって好むのと同じですね。

 

②市場でのモノ・販売者管理者の信用度の高さ
前回で信用についての文を書きました。
わたしはこちらに来てからピアスの金属アレルギーになりました。金属アレルギーだから、チタンかステンレスか樹脂かプラのピアスを探しているんですけど!!って言っても、大都市マニラでさえ知ってる人や自信をもって回答する人ははほとんどおらず、そこから、商品と販売者を信用できない→購入できない→これからも購入意思が沸かない、つまり全ては信用なんですという話をしました。
そういう背景で、帰国してから街をぶらぶら歩きまわって、ここの市場でのモノ・販売者管理者の信用度の高さを理解しました。つまり日本製だからこのピアスがチタン製というのは間違ってないだろう、と思えるとか、この販売員のおねーさんがステンレスだから大丈夫ですということは信じられるだろう、とかお姉さんはこれはアレルギー出ますと教えてくれる(売ることが一番ではない)という正直さとか、そういう信用度が高いと感じました。
そして安心してピアスが買える、という購入選択をしてもらえる、ということは、日本の製造産業の強さだとも思いました。フィリピン同期隊員で製造業で行っているかたとも話したんですが、日本の産業・中小製造業が日本人の皆さんの経済と生活を支えてるって今分かります。そのいわゆる職人さん・材料屋さん・まじかっこいい。材料を、部品を、ねじを、板を、紙を、インクを、半導体を、ガスを作る材料やさんの技術力の高さと正直さが、市場における日本製の信用度を持たせてるんだと思います。だから、今、製造業は過渡期であり、人材の確保・いままでの純ジャパ思考じゃやっていけないところに加えて、質を下げずに選ばれ量産するのはとっても大変なことだと思うのだけれど、ほんとに日本の中小製造業踏ん張ってくれ!!!と日本人として超応援をしています。

 

③東京は可能性あり
まずひとつは、今回親戚周りをすることが多かったのですが、自分がどこにいても何か大変な時に守ってくれるようなご先祖の皆さんは東京にいるのかなと思いました。というのも、私は静岡浜松出身の大好きな浜松で形作られてきたのだけれど、両親は東京生まれ東京育ちで親戚はみんな東京で、幼少期からしょっちゅう東京に行っていたので家族と親戚の思い出も沢山。お墓参りやすごく昔の写真を見たりして、皆さんここにいて戦前戦中戦後も乗り越えて生きて、わたしを見てくれてるんだなと感じたこと。素直に東京に住める安心感がありました。
二つ目に、東京は変わっていっているということ。訪日外国人、観光客だけでなく企業労働者として住むかたも増えていて、新しい良い風が沢山入ってきていて、東京自体には、凝り固まった思考じゃない空間と人々が増えているんだと思いました。その中で、自分の居心地の良い人たちと一緒に、働いたり住むことはなかなかいいんじゃないかな~という可能性が見えてきました。きっと東京だけでなく大阪や他の都市でもそうなのでは?

 

加えて、総じてわたしが今一番感じていることは、

◎コンサバ文化とリベラル文化について。
フィリピンに来て、というか地方田舎に来て、いちばん印象的なのは、田舎のコンサバ文化です。例えば、フィリピンで初めて会った人と話すときの合言葉は、「名前は?」「何人?」「何歳?」「彼氏いるの?」です。続いて真面目な顔で、「彼氏居ないなら友人の息子が独身だからどう?」。初めはショックずぎてやばかったんです。だって全然興味ないことばっかりだったから。普段人と話すとき、私が興味あるのはその人がどんな仕事してて、どんな趣味があって、どうやって考えてどうやって生きてるの?みたいな話なのですが、こちらでそういう話は盛り上がらないし、話が途切れる。というか、来てみて分かったけれど、彼らの毎日の忙しさと見える世界の狭さ(それは物理的に交通機関がないとか、船代が高いとかそういうのが原因)からすると、この挨拶たち主流で人気なのは当然です。
日本の田舎でも同じですよね(っていうか都会でも一部?多く?はそうですよね)。「結婚は?」「~~高校かすごいね~」とか、皆さん言われてきたのでは?つまりこのコンサバ文化は田舎のどこにでもあるんですね。いわゆる途上国とか先進国とかそういう話ではなくて、ただ単に田舎か都会か、所得の差、違う世界や人に触れる機会が多いか少ないかっていう話なんですね。
そして、このコンサバ文化を外から見るのではなく、そこに入っていくっていうのは正直結構かなりきつい。
わたしは大学卒業後、企業に働くようになってから、リベラルな友達が周りに増えてなんで居心地がいいんだ!と気づき、そういう意味で企業のコンサバ空間の辛さも外から見れる空間がありかなり救われたのですが、
今のようにコンサバ文化にどっぷり浸かって抜けられないのは、人生はじめて感じるレベルの高さの窮屈さです。コンサバ常識のなかで質問を受けるのはまだしろ、心から理解できるとか同じ感覚で会話できる友達ができない。皮肉なことに、私達が対象としている人の理解にはそんな文化の理解が重要だし、かといって本当におもしろいこの人の話!って思える瞬間話してるのは割とお金があって知識のあるメイヤーの娘だったり、矛盾してるんですよね。
そして、何より世界ってだいたい田舎でできていて、都市なんで親指ひとつまみしかない。そもそもコンサバ文化が世界のマジョリティーでリベラル文化がマイノリティーなんじゃん!!!って気づいたときの衝撃さ・・。トランプが当選したことにも表れますよね。
私も任地での滞在が長くなるほど、この質問たちの窮屈さは拭えないものの、この挨拶たちも慣れました。
しかし!帰国時、初めて会う友達と会話していた時、「へ~~そうなんだね~、で、あなた何歳?」って私自然に質問してたんですね。は?!?!何歳かなんでどうでもいいしやばいなんでこんなこと質問してるの!?って自分で自分に呆れ、ショックでした。つまり慣れすぎて普通になってたんですねやばい。
所得の差でこのような差が出てしまうのは非常にやり切れない話です。だから例えば、田舎のコンサバカルチャーのなかでもがいて踏ん張って頑張りたい女の子、とか、かなり辛い思いをしてるんじゃと思うと、そのような子にどうにか手を差し伸べたいと思うのですが。どうやったらいいかまだ分からないので考えます。

 

と、このような経験を通して、次のステップとしてそのリベラル文化が常識の空間、中欧北欧なその文化に入ってみて自分の居心地の良さや感覚はどう変化するのか?を経験するのも面白いのではと思っています。

 

人生振り子なので、また日本やフィリピンや、文化の良いところ悪いところきっともっと気付くでしょう。でもなにかしら足を動かして行動しないと分からないです。

 

以上、

協力隊の活動についても、けっこう色々やってるんですが、内容が多くてまだ書けてないです。ので次回!