わたしのフィリピン青年海外協力隊日誌

2018年11月~2020年11月の二年間、JICA海外青年協力隊、コミュニティ開発隊員としてサマール島に派遣。バセイ町役場農業課に勤務。地域のおばちゃんたちと生計向上プロジェクトに奮闘中。現地弁、ワライワライ語にも奮闘中。

村のくらしと街のくらしについて

ご無沙汰しておりました。

2019年12月に任地に赴任してから、12~7月の約半年間は任地のバセイ町でホームステイ、その後~現在までタクロバン市のアパートで暮らしています。今回はこの田舎と街との暮らしの違いについて書きます。

バセイの職場ここ:

Google マップ

 

バセイ町でのホームステイ

フィリピンの中で最も貧しい島であるサマール島の入り口、人口55,000人と割と大きなMinincipalであるバセイ町の、メイヤー宅にホームステイをさせてもらっていました。ココナツの木で茂る小さい村のなかに、闘鶏用ニワトリ40羽、番犬7匹、ボディーガードのおにいちゃんたち5人くらい(?)に囲まれた敷地に、建物が3連ほどと広い庭があり、三階のバルコニーまである、ワイルドでローカルで温かい家。落ち着いて大きすぎなく、地元民に寄り添った入りやすい雰囲気で、農業組合のおじちゃんが相談に来たり、毎日初めて見る人が行き交っていた。よくあるこちらのメイヤーは頭おかしいほど家が大きかったりするし、同期によると隣町のメイヤーの家は人口の滝とウサギの楽園があるということだった(一人で寂しかったらしい)。もちろん途上国のメイヤーということでバセイメイヤーの彼もひと際置かれているのだが、住民と寄り添った姿勢が好まれ3年3期の9年満期満了をするほどだった。家には手伝いさん1人と7人の奨学生が一緒に暮らしており、メイヤーに通学費用サポートをもらう代わりに帰宅後はメイヤー宅の家事全般、洗濯・掃除・炊事・除草等を行っていた。

ここで私は箱入り娘のような暮らしをさせてもらっていた。というのも、地元民とどれだけ同等になろうと思っても、私は常にビジターになってしまう。家事全般は手伝うと怒られてしまうし、一人で移動は危険というのとビジターということで送迎付き、全てやってもらっていた。大学からずっと一人暮らししていた私にとって初めての経験だった。

平日のスケジュールは、朝6:30起き、7時みんなで朝ご飯、8時メイヤーカーで一緒に出勤、夕方5時メイヤーカーで一緒に帰宅、6:30時にみんなで夕食、10時に就寝というかんじで、夜はもちろん出かけられる場所がないので家に居た。週末はタクロバン街に行くために岸をまたぐパンボートに乗る。家からピアまでメイヤー何でも屋のお兄さんに送ってもらい、ボート15分で街の中心に向かう。帰りもボートの後はお兄さんにピアまで迎えにきてもらう。タクロバンに出ない場合はほぼ自宅に籠るのみ、みんなが心配するので日中も一人で歩くことができなかった。

ホームステイを経験して最も良かったことは、本当のローカル人の暮らしが分かったこと。何時に起きて、何を食べて、どう料理して、なにを買ってなにを収穫して、なにを話して、なにに困って、なにが人生の中で重要で、なにに時間を費やして、なにをお粗末にするか、どうお金を使うか、という草の根の感覚が死ぬほどわかった。しかも私の場合は、富裕層であるメイヤーファミリーズの感覚と、奨学生やお兄さんたちの感覚の違いが痛いほどわかった。これは私はフィリピンで活動をするにあたって最も希少価値の高い情報だった。

ホームステイで大変だったことは、コンサバ文化(前回も書いたが)、多様性の無さ(考え方、言葉の使い方、会話、活動範囲、出来る服装、外国人への扱い)。これらは単に所得によって生じる文化なのだけれど、私にはとても窮屈になることが多かった。

 

タクロバン一人暮らし生活

引越しをした理由は、バセイのローカル文化は十分に知ったと確信できたこと、自分の時間が作りたかったこと、自分で料理したかったこと、関わる人間の範囲を広げたかったこと。引っ越した今は、オーナーさんの敷地内に併設されている賃貸用建物の三階の一部屋を借りている。バルコニーから海が見え、朝は海風と教会の音楽で目が覚め、大通りのうるささはなく、部屋は小さいが清潔でエアコンミネラルウォーターホットシャワー冷蔵庫完備、オーナーさんの雇うメイドさんは共有スペースを一生懸命きれいにしてくれ、正直ホテルのようで本当に運が良かった。しかもオーナーさんがたまたまメイヤーの知り合いだったので色々ことが上手く進んだ。

一人暮らしを始めて人生が変わった。引っ越してからの暮らしに期待していたことは全て叶った。食べ物は私のパッションなので毎週料理が楽しい。最も変わったことは、やっと「友達」ができたこと。逆に言えば、バセイにいたときは感覚が同じ友達が誰一人いなかったが、引っ越してからフィリピン人・外国人ボランティアと、やっと、やっと友達といえる友達ができた。旅できることが増え、旅先でも新しい人と出会えるようになった。バセイでは、隣町に行ってくることさえも言いづらかった、ゆうこは金持ちだと思われるし、地元民と同等に対話したかったから。

最近ボルダリングジムに通い始めたのだが、衝撃の連続だった。今まで私はフィリピン人=バセイ人と思ってたが、それは間違っていたと知った。ジムで初対面の彼らが私にしてくる質問は、仕事の詳しい内容、なんでフィリピンに来たか、趣味、旅行、タイ料理のはなしやら、歴史、地質学のことなど教養のある質問ばかりで、私が何歳で彼氏がいるか、ではなかった。皆自分で物事をきめ、アジア文化のAttachyなかんじが全然なく、男女仲良く話す。一番衝撃的だったのは、レストランで注文する際にひとりの友達が一言目にAre you vagan?って聞いてきたことだった。私「え~~~?!ビーガン知ってるの!?!?」彼女「外国人の友達はだいたいビーガンだからさあ」私「ビーガンじゃないけど、肉は食べないようにしてるよ」彼女「ああペスカトリアンね」私「えええええええええええペスカトリアン知ってるの?!?!?」ってかんじで、そんな会話ができた友人は日本でも少数だったので超衝撃だった。ジムの子たちはもちろん筋肉質でスタイルが良く、メンテナンスが出来ているかんじ。フィリピン人なめすぎてたわと反省しました。

ある方に「ゆうこ隊員はシティーガールだよね、ダイバーシティが好きだから」と言われたことがあるのだが、その通りで色んな方向に足を延ばして回りを見渡していないと、私の場合は人生のいい風が吹かないのだなあと思った。

これも前も書いたが、任地でローカルと一番近くならなければいけないのは私なのに本当に皮肉だと思う。

 

というわけで、私の人生が前向きに一転し、昨年11月5日にフィリピンに来てから一年経ち、残り1年では、どこでなにをすれば良い波が立つのか、後ろ髪のない運の神様が通り過ぎないか、よく見ながら暮らしていきたいと思っている。