活動について(続編)
復習、私の要請:「バセイ女性組合の食品加工を通した所得向上」
昨日に続いて、JICAから寄贈された食品加工所が5年経った今もなかなか稼働しないのか書きます。少しでも多くの人に、遠くフィリピンの田舎で、日本とフィリピンがどう繋がっているのか知ってもらって考えてもらえればと思います。
まず、2014年~緊急復興プロジェクトのそもそもの構想はこう。
現地語でBangus、英名Milkfishは、フィリピンの国魚であり、一日の三食いつでもよく食される国民魚、そして高級魚でもある。本プロジェクトの中心となる。
LGU(Local Goverment Unit)とはここではバセイ町役場を指す。
これが現在は・・・
JICAから町役場に寄贈された40ケージのうち30ケージが、JICAの承認のもとLGUからタクロバン市場を牛耳る鮮魚卸業者へ貸出された。この背景には、2014年当時に役場農業課漁業チーム長が地元の漁師さんから信頼を得られておらず、漁師さんたちがケージを使用しなかった+日本から貰ったものが使用されていない事実によるLGU側が感じたプレッシャー、がある。
卸業者はもちろん漁業そしてビジネスのプロであるので、養殖ケージは稼働するようになり、業者による漁師の雇用の創出を産んだ。一方で、バングス(Bangus)のほとんどはタクロバンに流れ、加工所のおばちゃん達は結局、タクロバンにわざわざ朝3時に出かけ、バセイの末端価格ではなく上乗せされた市場価格で魚を買う。本末転倒である。漁師のおっちゃんたちは、台風前は自力で竹ケージを作り魚の養殖、バセイに鮮魚を流していたものの、今はほとんどが雇われ労働者となった。
これが現在のサイクルである。この、加工所x女性組合の部分をなんとかできない?というのがボランティアの私がいる理由ですね。
この背景と、1年かけてフィールド調査分析し、挙げられる問題。
①女性組合は組合に対してそもそもあまり期待をしていない。
そもそも女性組合自体は台風後に結成されたグループで、自治体とは違い、コミュニティにとって全く新しい概念。そう簡単には回らない。組合員おばちゃんたち、その旦那たちの生業は不安定、もちろん正規雇用なんてほとんどいない。アクティブなメンバーにとっては、組合の細々とした活動にも希望を見出さなければならないほど生活は不安定である、と言える。
②組合活動が組織としてうまく回らない。
- 組合活動は、家事や子守・個人商店の仕事から優先順位が下がる。おばちゃんたちの家にお邪魔したりすると痛いほどわかる。
- バセイにマーケットがない。
低所得層の多いバセイで、(生鮮品にマージンののった)加工品販売は難しい。まじ売るの大変です。タクロバンに持っていく他ないがそこまで生産も安定しない。
- 加工魚の需要がない。
いくら骨が多くても鮮魚で食べるのが基本。加工魚需要は中~高所得層レベルのレストラン・マニラやセブの大都市のみ。
- 給料をつくれない。
利幅のあるマーケットが見つかっていないため利益でず、ほとんど無給ボランティア活動(ここ数か月に変化ありだが詳細のちほど)。
③養殖場と加工所のつながりが薄い。
- 養殖場と加工所の距離が遠い。
加工所に立って海が見えるのは1/4のみ。
- LGUとJICA側が卸業者に貸出てしまったこと。
- おばちゃんたちが欲しい小型の魚がとれない。
市場向きは大型のBangus(500gr/匹)が好まれ、養殖場では小型(300gr)がほぼとれない。
- 漁業組合員、女性組合員自体、ほとんど夫婦でなく繋がりがない。
旦那→奥さんの構想だったが、初期の夫婦メンバーから随分とメンバー入れ替えがあり、おばちゃんたちの旦那で漁業組合員なのはほとんど皆無。
④加工して付加価値がつきそうなものがほとんどない。
魚や野菜は生鮮状態から加工して食されることがメインなので厳しい。このエリアで安価で大量にとれるココナッツの加工を検討しているところ。
よってわたしがボランティアレベルで出来ることは、
魚に関して:より安価で小型のBangusを手に入れるルートをつくる。
魚以外の加工品に関して:食品だけでなくProfitableかつSaleableな商品をいくつか確立する。
と考えて今は毎日の活動をしているということです。
では次は、今後の展望・計画の詳細を書きます。
今日はここまで!