わたしのフィリピン青年海外協力隊日誌

2018年11月~2020年11月の二年間、JICA海外青年協力隊、コミュニティ開発隊員としてサマール島に派遣。バセイ町役場農業課に勤務。地域のおばちゃんたちと生計向上プロジェクトに奮闘中。現地弁、ワライワライ語にも奮闘中。

コンサバ文化とリベラル文化について

現在水疱瘡にかかって自宅療養中で、たっぷり時間があるので執筆しています。
(余談ですが、幼少期から超健康体の私は、大きな病気といったらインフル1回、手足口病1回、足ヒビ松葉杖1回、歯が折れてインプラントしかしたことがないです。)

 

6月半ばに家族の諸事情により2週間ほど帰省していました。主に東京と浜松におりました。
帰国後感じたことをずっと書こうと思っていたんですが、今になってしまった!

フィリピンに行く前、ちゃんとした留学などしたことのなかった私は日本の嫌なところたーくさん見えました。
おっさんやら会社のシステムやら女性としてチャンスがもらえないことや比べたり見た目をいじったりする文化やら集団行動やルールの窮屈さ、書ききれないほど色々あります。
そして他国に長く滞在して、だって母国なんだから日本のいいとこ見つかればいいな~くらいに考えてました。
でも今回帰国してみて目から鱗がボロボロ落ちるほど、日本のいいところ、また日本の悪いところも見えました。
(数多くの皆さんが同じような経験があると思うけれど、私なりに見えたところの自分記録です。)

 


成田空港に着いて、バスにのって最初に「うわーー道がきれい!(平らでボコボコっじゃなくて車がスイスイ走ってこれマリカで見た光景だ!!)」から始まり、私が感じた日本の良さは以下3つ。

 

①食の繊細さと選択肢の多さ(=私にとっての美味しさ)
やっぱり食べ物うまい。初めに自宅で牛乳飲んだ時、「牛乳うまあああああーー!!」って叫びました。フィリピンではいつも粉牛乳飲んでました。フィリピンで暑い気候と乳牛の管理の難しさから牛ミルクはほぼNZ・オーストラリアから輸入したるので高すぎる(一部水牛牛乳はありますが地域限定なのと、水牛は乳用牛とはまったく別もの)んです。ちなみに、彼らがフレッシュミルクと呼ぶ所謂紙パック牛乳もありますが、全ての菌を殺してるの(ゆえに賞味期限はとても長く常温管理可能)で日本の良い菌が残っている(要冷蔵のやつです)牛乳とは断然味が違います。
それからあらゆるもの、刺身、チーズ、ワイン、うどん、そば、天ぷら、ライ麦パン、親子丼、サバの佃煮、ほうれん草のお浸し、ゴーヤの柚漬物、豆乳、納豆などなど、どれも繊細な香りと味、全部味が違ってどれも楽しんで食べられる。東京であれば、日本食だけでなく、かなりレベルの高い多様な食材が手に入りますよね。ほんとうに泣くかと思うほど、身体が五感が喜んでいるという感覚でした。
日本で味わう食事が、わたしの舌にあう、それがまず気づいたことです。
でも、だからって「日本のごはんは誰にも世界でいちばん!!」っていうそんなアホなことが言いたいのではなく、これは私にとってあうってこと。日本で働くフィリピン人が自宅で毎日フィリピン料理(私にとってはなんてバラエティの少ない食事なの!!と思っても)を作って食べるのと同じように、多くの他国籍友達が母国の味を恋しくなって好むのと同じですね。

 

②市場でのモノ・販売者管理者の信用度の高さ
前回で信用についての文を書きました。
わたしはこちらに来てからピアスの金属アレルギーになりました。金属アレルギーだから、チタンかステンレスか樹脂かプラのピアスを探しているんですけど!!って言っても、大都市マニラでさえ知ってる人や自信をもって回答する人ははほとんどおらず、そこから、商品と販売者を信用できない→購入できない→これからも購入意思が沸かない、つまり全ては信用なんですという話をしました。
そういう背景で、帰国してから街をぶらぶら歩きまわって、ここの市場でのモノ・販売者管理者の信用度の高さを理解しました。つまり日本製だからこのピアスがチタン製というのは間違ってないだろう、と思えるとか、この販売員のおねーさんがステンレスだから大丈夫ですということは信じられるだろう、とかお姉さんはこれはアレルギー出ますと教えてくれる(売ることが一番ではない)という正直さとか、そういう信用度が高いと感じました。
そして安心してピアスが買える、という購入選択をしてもらえる、ということは、日本の製造産業の強さだとも思いました。フィリピン同期隊員で製造業で行っているかたとも話したんですが、日本の産業・中小製造業が日本人の皆さんの経済と生活を支えてるって今分かります。そのいわゆる職人さん・材料屋さん・まじかっこいい。材料を、部品を、ねじを、板を、紙を、インクを、半導体を、ガスを作る材料やさんの技術力の高さと正直さが、市場における日本製の信用度を持たせてるんだと思います。だから、今、製造業は過渡期であり、人材の確保・いままでの純ジャパ思考じゃやっていけないところに加えて、質を下げずに選ばれ量産するのはとっても大変なことだと思うのだけれど、ほんとに日本の中小製造業踏ん張ってくれ!!!と日本人として超応援をしています。

 

③東京は可能性あり
まずひとつは、今回親戚周りをすることが多かったのですが、自分がどこにいても何か大変な時に守ってくれるようなご先祖の皆さんは東京にいるのかなと思いました。というのも、私は静岡浜松出身の大好きな浜松で形作られてきたのだけれど、両親は東京生まれ東京育ちで親戚はみんな東京で、幼少期からしょっちゅう東京に行っていたので家族と親戚の思い出も沢山。お墓参りやすごく昔の写真を見たりして、皆さんここにいて戦前戦中戦後も乗り越えて生きて、わたしを見てくれてるんだなと感じたこと。素直に東京に住める安心感がありました。
二つ目に、東京は変わっていっているということ。訪日外国人、観光客だけでなく企業労働者として住むかたも増えていて、新しい良い風が沢山入ってきていて、東京自体には、凝り固まった思考じゃない空間と人々が増えているんだと思いました。その中で、自分の居心地の良い人たちと一緒に、働いたり住むことはなかなかいいんじゃないかな~という可能性が見えてきました。きっと東京だけでなく大阪や他の都市でもそうなのでは?

 

加えて、総じてわたしが今一番感じていることは、

◎コンサバ文化とリベラル文化について。
フィリピンに来て、というか地方田舎に来て、いちばん印象的なのは、田舎のコンサバ文化です。例えば、フィリピンで初めて会った人と話すときの合言葉は、「名前は?」「何人?」「何歳?」「彼氏いるの?」です。続いて真面目な顔で、「彼氏居ないなら友人の息子が独身だからどう?」。初めはショックずぎてやばかったんです。だって全然興味ないことばっかりだったから。普段人と話すとき、私が興味あるのはその人がどんな仕事してて、どんな趣味があって、どうやって考えてどうやって生きてるの?みたいな話なのですが、こちらでそういう話は盛り上がらないし、話が途切れる。というか、来てみて分かったけれど、彼らの毎日の忙しさと見える世界の狭さ(それは物理的に交通機関がないとか、船代が高いとかそういうのが原因)からすると、この挨拶たち主流で人気なのは当然です。
日本の田舎でも同じですよね(っていうか都会でも一部?多く?はそうですよね)。「結婚は?」「~~高校かすごいね~」とか、皆さん言われてきたのでは?つまりこのコンサバ文化は田舎のどこにでもあるんですね。いわゆる途上国とか先進国とかそういう話ではなくて、ただ単に田舎か都会か、所得の差、違う世界や人に触れる機会が多いか少ないかっていう話なんですね。
そして、このコンサバ文化を外から見るのではなく、そこに入っていくっていうのは正直結構かなりきつい。
わたしは大学卒業後、企業に働くようになってから、リベラルな友達が周りに増えてなんで居心地がいいんだ!と気づき、そういう意味で企業のコンサバ空間の辛さも外から見れる空間がありかなり救われたのですが、
今のようにコンサバ文化にどっぷり浸かって抜けられないのは、人生はじめて感じるレベルの高さの窮屈さです。コンサバ常識のなかで質問を受けるのはまだしろ、心から理解できるとか同じ感覚で会話できる友達ができない。皮肉なことに、私達が対象としている人の理解にはそんな文化の理解が重要だし、かといって本当におもしろいこの人の話!って思える瞬間話してるのは割とお金があって知識のあるメイヤーの娘だったり、矛盾してるんですよね。
そして、何より世界ってだいたい田舎でできていて、都市なんで親指ひとつまみしかない。そもそもコンサバ文化が世界のマジョリティーでリベラル文化がマイノリティーなんじゃん!!!って気づいたときの衝撃さ・・。トランプが当選したことにも表れますよね。
私も任地での滞在が長くなるほど、この質問たちの窮屈さは拭えないものの、この挨拶たちも慣れました。
しかし!帰国時、初めて会う友達と会話していた時、「へ~~そうなんだね~、で、あなた何歳?」って私自然に質問してたんですね。は?!?!何歳かなんでどうでもいいしやばいなんでこんなこと質問してるの!?って自分で自分に呆れ、ショックでした。つまり慣れすぎて普通になってたんですねやばい。
所得の差でこのような差が出てしまうのは非常にやり切れない話です。だから例えば、田舎のコンサバカルチャーのなかでもがいて踏ん張って頑張りたい女の子、とか、かなり辛い思いをしてるんじゃと思うと、そのような子にどうにか手を差し伸べたいと思うのですが。どうやったらいいかまだ分からないので考えます。

 

と、このような経験を通して、次のステップとしてそのリベラル文化が常識の空間、中欧北欧なその文化に入ってみて自分の居心地の良さや感覚はどう変化するのか?を経験するのも面白いのではと思っています。

 

人生振り子なので、また日本やフィリピンや、文化の良いところ悪いところきっともっと気付くでしょう。でもなにかしら足を動かして行動しないと分からないです。

 

以上、

協力隊の活動についても、けっこう色々やってるんですが、内容が多くてまだ書けてないです。ので次回!

時間に遅れるということについて

フィリピンに限らず、多くのいわゆる途上国といわれる国や南国では、時間に遅れるということが起きると思います。

フィリピンでは10時に集合といったら10時に出発し、30分後に集合できれば奇跡的、1時間後の集合が平均、2時間後には多くのメンバーが集まるかなというかんじです。協力隊がいる国は、中国とか以外はほとんどこんな感じなんじゃないかと思っています。

 

日本で私はほとんど時間に遅れるたちでした、15分とか。でも遅れるなら遅れるとか今出るとか本当のこと連絡しますよね。

でもフィリピンに来て分かったのは、遅れるということは、「他人の時間つまり貴重な人生の一部を奪うという酷い仕打ち」だと知りました。

今まで人生で待たされたことがほとんど無かったから、こんな簡単なことにさえ気づかなかったのですね~。

そして、待たすことまたは連絡なしに待たすことは、信用を失うことになると分かりました。この信用は作るのに難しくて壊すのに簡単です。私の場合、フィリピン人で本当に信用できるひとは所属部長だけ(信じられる人は部長だなんでほんとうにラッキーですよね)。

例えばこの信用問題って待たすこと、忘れること、できないのに言うこと、いろいろきっかけはあると思います。私はフィリピンにて金属アレルギーになってしまって、アレルギーのでない金属、チタンや樹脂・ステンレスなどでできたピアスを探していた際に、「(なにでできてるか分からないけど)ハイポアレジーだよ!!」「(たぶん)ステンレスだよ!!」と一番まともそうな首都マニラのデパートでも言われまくったためにこちらのスタッフを全く信用できずピアスを買えなかった経験から、この信用問題について考えはじめました。いいものがあっても買う・モノを信用する段階に至らないということは、商売においても致命的ですよね。しかも超自分中心型考え。この点においては、日本人のスタッフや日本製品の信用性は相手中心型で、かなりレベルが高いんじゃないかと思います。

 

というわけで、今まで待たしてしまった人ごめんなさい。

ただ出勤に1秒遅れたからダメとかそういうのは筋違いだと思うのですが、待たす行動には相手の存在とその人生の一部がかかっているという概念が理解できるかってことが大事なことですね。

 

大統領について

皆さんご存知、2016年に就任したドゥトルテ大統領が我がフィリピンの大統領です。
タブートピックかもしれないけど簡単に書きます。


日本では批判的な報道が多いけれど、こっちに来て見方が変わりました。
ドゥトルテさんは実はけっこうやり手な方で、中国との距離感やら国づくりやらなかなか上手だなんだなと思って見ています。
彼が掲げている目標は「Build Build Build」です。つまり、建てまくれってことですね。

この記事とても分かりやすかったです。

www.nikkei.com

インフラに投資して雇用を生み出す。フィリピンは東南アジアの中でも稀に、人口ピラミッドは今でも下広がりの三角形です。つまり、子どもを産みまくって若い労働力もたくさんあります。しかしフィリピンには企業がありません。マニラなど首都兼は海外資本の企業が沢山ありますかが、純フィリピン資本でできた企業をほとんど見ません。産業を支える日系製造業企業のような会社もほとんど見たことがありません。地方都市さえも企業数はとーーーても少ないです。会社の数が少ないため働くところも少ないです。この雇用機会の創出はフィリピンにとって最も必要なもののひとつだと、日々周囲を見ていて思います。本当に人が余りに余りまくっています。マイナビみたいな求人サイトが無いのは当たり前ですが、大学出ても就職先なく2年くらい空き席できるの待っている状態が普通です。
フィリピン人の職業については「職について編」で今度話しますね。


汚職撲滅にもかなり力を入れてます。フィリピンは汚職が文化と言われるほど蔓延っていて、私の住んでいる小さいエリアでさえもお金の行き交いを見たり聞いたりすることが多いです(農村部の汚職は貧困ともつながっていのかなと感じます)。で、大統領は警察やら政府内やらの膿潰し的なことをやっているらしいですが、政治のことは何が本当なのか実際のところは分からないです。


あとは有名な麻薬撲滅の件です。フィリピンは大麻とか中毒性のないNatural系ではなく、覚せい剤がほとんどです。この間フィリピンの麻薬アクション映画をホストファミリーと見たのですが、覚せい剤の世界ってやばいです。スラムで容赦なく血が飛び交って・・みたいなシーン見ていると実際はもっと惨いはずです。麻薬に関しては個人的にすごく許せない経験があって、心から嫌いです。グレー人まで巻き込むのは絶対にいけない。でも一方で状況を好転させるにはここまで圧力かけないと変わらないのかもとも思います。また汚職は国の成長を大きく抑え込みますよね。日本や他国はどのように改善してきたのか気になっているので調べます。
フィリピンはカトリック大国ですが、大統領は無信教と公言していて、フィリピン人の友達は「どの神も信じていないから麻薬に関してもこんなことができるのかと思うと怖い」と言っていました。

 


植民地国の典型な縦社会であるフィリピンではもちろん大統領のこと悪く言うことはできないと思うので、政治の捉え方って難しいです。

住む場所、環境、国、メディアによって見え方が全く違った経験でした。

養殖場について

わたしのバセイでのプロジェクトで深く関わってくるのが漁業です。なかでも、現地語でBangus(バングス)、英語でMilkfishという魚の、養殖池(Fishpond)と養殖籠(Fishcage)の運営、それを取り巻く漁業組合や女性組合のそれと組織の成り立ちやその関係、またマーケットや庶民の暮らしとの繋がりを理解する必要があります。

 

こちらBangusです。これは獲れたてBangusで体がぴんぴんしてめっちゃ美味しそう。目がでかく、お腹部分にミルク色の油がのってるのが特徴です。

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ちなみにバセイには、2013年の超大型台風ヨランダ襲来前から沿岸部に養殖ケージが沢山ありましたが、全て跡かたなく流されてしまい、被災後にまた新しい養殖場を町役場やJICA、地元の政府組織の援助を受けながらいくつも作りました。


そこで現地の魚の専門家のかたに、先週末養殖池と養殖ケージに連れて行ってもらいました。

こちら養殖ケージ。

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こちらは養殖池。

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こちらはバングスを使ったキニラウと呼ばれる、生魚の酢漬けみたいな料理。かぼすが効いてて美味しい。ペルー料理(名前忘れた)にもこういうのがありました。要はスペイン料理の続編ってことですね。生食べられるのはフィリピンだからですね~

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こちらムキムキのカッコいい漁師さん。惚れ惚れしますね~

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こちらもかっこいいお兄さん。

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先週末の学び

・技術的な学びが多かった。

養殖場は隣の大きな町のビジネスマンによって管理されているけど、この市場経済の介入によってかなり多くの安定的な雇用が生まれている。例えば、養殖池の管理を任されている地元のお兄ちゃんたちは、一定の給料プラスタダのお米をもらい、十年契約を結んでいる。

・若い漁師さんはムキムキ。

活動について(簡潔編)

まめでないので書き留めないでいましたが日誌を始めます。

 

わたくし2018年11月5日より、JICAの海外青年協力隊としてフィリピンにいます。


日本のODAの代表であるJICAは様々な援助プロジェクトを持っていますが、これはボランティア事業の部分に当たります。
昨年11月にマニラに到着してから、1週間銀行口座作りやオリエンテーション、3週間現地語の勉強をし、12月から任地のサマール島西サマールバセイ町(https://goo.gl/maps/aVtDe7WGbjhajNWX8)にいます。
1月から本格的に活動が始まり、ざっと話すと現地スタッフと共に、毎日プロジェクトの対象になる現地のおばちゃんたちや、このエリアの流通や商売のキーパーソン、潜在顧客、キーパーソンの技術者などのを訪問や、ワークショップの企画、付加価値をつける広告やラベル作りなどなどなどをしています。

 


ここバセイ町には2013年超大型台風ヨランダ襲来後、JICAより4つの食品加工施設(一棟500万円ほど)が寄贈されました。そもそも初期プランとしては、4つの施設は各々、町内4つの区の女性組合(婦人会)にて使用され、周辺沿岸海域の養殖ケージで生産された魚を加工所で加工し販売、生活のプラスにする予定でした。
しかし、寄贈後の水質検査で加工所で使用する地下水に大腸菌など混っており加工に使用できないと判明、おばちゃんたちは毎日家事や子守に忙しく、またメイドや個人商店など安定した収入・すぐ現金が手に入る仕事を選ぶため加工活動は優先順位が下がり、そもそも計画という概念のない世界で生活をしているおばちゃんたちがビジネスの概念を理解することは非常に難しく、、現在寄贈から5年経つ今も加工所はほとんど使用されていません。
この状態を改善するのがわたしの任務です。
現地の内情を知れば知るほど問題が沢山ですが、ここでのフィールドワーク・地元とのおばちゃんたちの生活や考えを知るのは本当に楽しいです。
草の根で働く一生懸命な政府職員にもたくさん会い、刺激をうけました。
一番に、おばちゃんたちがよりハッピーになる方法を探して、地域と人とおばちゃんたちを理解しようと奮闘しています。

 

詳しくは続編に続く。

 

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このような加工所が4つバセイにあります。

交通手段について

フィリピンの交通手段は、所謂東南アジアのそれと同じような感じで、ここバセイには車、モーターバイク、大型バス、バン、自転車、ジプニー、トライシクル、ハバルハバル、ペディキャブ、パンボートなどがあります。
以下の特徴を記載してみると、
・車:車が買える所得層の人のみ持つ。バセイでは、町役場部署内で役職をもつ地位以上くらいでないと持てない。
・モーターバイク:モーターが買える所得層の人のみ持つ。バセイでは、町役場部署内に正規社員で働く男性は所持、女性は家族のモーターに二人乗り。バランガイ(日本でいう"字"サイズの区)間の移動が可能。
・大型バス:公共交通手段。3~6時間ほどの長距離移動用。
・バン:公共交通手段。30分~2-3時間の距離の移動用。
・自転車:地元の子供が乗り回しているくらい。暑いので自転車なんかに乗っていられない。
・ジプニー:公共交通手段。窓なし手作り小型バス。町と町の移動用。一般市民の交通手段。
・トライシクル:公共交通手段。モーターにお客用の座席と屋根をくっつけた乗り物。バランガイ間、街中の移動用。一般市民の交通手段。
・ハバルハバル:公共交通手段。モーターに屋根をつけたもの。運転手さんの後ろに座る。一般市民の交通手段。
・ペディキャブ:公共交通手段。自転車にお客用の座席と屋根をつけたもの。街中やバランガイ内など狭いエリアのみ。バセイの街中には、このおにいちゃん・おじさんたちが溢れかえるようにスタンバイしている。一般市民の交通手段。
・パンボート:公共交通手段。街間の移動。いつもバセイから隣町タクロバンまで行くのに利用している。島の多いフィリピンは陸路よりも海路のほうが近い場合がある。一般市民の交通手段。

というかんじです。


公共交通手段を使うのは地元の人の暮らしや景色を見たり、蒸し暑さや込み具合を体感するにはもってこいですよね。

 

そこで私がここバセイでどのような乗り物で移動しているかというと、車や町役場のバンです。80%エアコン効いていて超快適です。
ボランティアのうち、わりと都市部に派遣される看護隊員・教師隊員・観光隊員などに対して(病院や学校がある)、農村部に派遣される農業隊員やコミュニティ開発隊員等は、移動が難しいため、モーターの研修を受けて各自のモーターが支給されます。でもわたしはなぜが(モーター)バイク隊員として登録されませんでした。JICAの規定でボランティアは全員、バイク隊員でない限り、現地でモーターに乗ってはいけないことになっています。
そこで移動手段がない!!と困るわけですが、
ここバセイで、わたしはバセイ町長さんの家にホームステイをしています。
町長さんは一期3年の3回満期で就任している、人気でとてもいいひと、責任感のあるかたです。わたしのことをとーーーっても心配してくれます。そこで町役場の7人ほどいるドライバーさんのうち、1人を「ユウコ用のドライバー兼ボディーガード」として手配してくれました(前任ボランティアのかたも同じようにしてもらったそうで)!
というわけで毎回の活動時はDoor to Doorのサービスをしてもらっているのです。贅沢ですよね。
町長さんだけでなく、部署内のみんな、加えて活動の受益者となるおばちゃんたちもが、ひとりで歩かないで!モーターは絶対だめだからね!ジプニーもひとりで乗ったら危ないから!ドライバーのクヤのサービスだけ使ってよ!と声を揃えて皆でボディーガードをしてくれます。
今日は、組合のおばちゃんたちが、「ゆうこが帰るまで見届けるのが責任だからね!」とドライバーのクヤが来るまでいつものように一緒に待ってくれました。

 

公共交通手段なら大丈夫じゃん、と日本人の私は思うところですが、ここ農村部バセイのみんなから見たら、日本人で分かりやすいしメイヤーの家に住んでる子に何かあったらジーザスの顔も見れないわ、というかんじです。
こんなに箱入り娘になったことは人生に一度もなく、不自由なこともあります。でも贅沢な暮らしもしています。
フィリピンという他世界に来たけれど、わたしが住んでいる農村部の世界はとても小さくて、でも深く深く、ひとりひとりの世界の見方の違いを発見しています。

国際郵便について

一般的に世界中で国外貨物輸送にはEMS、DHL、Fedexが使われますが、フィリピンでは加えてLBC(噂に聞いただけで調べていません)の計4つの郵便/企業がその役割を担っています。


日本在住の友人が結婚することになったため、日本にプレゼントを贈りたい。
先週、マニラ滞在中に購入したプレゼントを、土曜日マニラからバセイに帰る当日、近くで送れないかな、きっと空港で送れるでしょう国際空港なんだから、とのことで空港で発送しようとしていました。でもEMSもDHLも見つかりませんでした。大きい空港ですが国内線ターミナルだったからかもしれないです。地元から送ると荷物の移動が多いため紛失が怖い。都会で送りたかったのですが、結局バセイまで持って帰りました。
今日はDHLに行きました。
9時半に片道1時間ほどの隣町DHLに到着しスタッフはひとり、開店は8時のはずですが「お兄さん:この支店ができて2か月なので海外担当が今外出中です、お昼に戻ります」(理由になっているのかな?)「私:海外向けは今送れないの?」「お兄さん:あと少し待ってくれればできます」「私:何時ごろですか?」「お兄さん:10時半ころです」、とのことで(色々話がかみ合わないですね)、DHLは諦めました。

次に別の用事を済ませてから、郵便局に向かいます。でももちろん日本のようにそこら中に郵便局があるわけではないので、街中をくねくねして到着しました。EMSで日本向けと伝えたところ、箱を出してくれました。Sサイズの箱には私の荷物はギリギリ入りきりませんでした。お兄さんがMサイズの箱を出してきてくれました。3~4倍に大きい箱だから送料かかりそう、、、と思っていたら、カッターを取り出して私の荷物サイズに合わせてザクザク、丁寧にザクザクと切ったり折ったりでピッタリサイズの箱を作ってくれました。こんなに丁寧はフィリピン人を見たのは実に半年経って初めてでした。
というわけで終わったのが11時すぎ。バセイに戻ったのが12時で半日が終わってしまいました。
たったひとつ荷物を送るにも、なかなかうまく行かないよね~と帰り道ドライバーさんとゲラゲラ笑いながら帰っているときに思いました。
なにも焦る必要がないことは、なにも焦らなくていい、と教えてくれた今日でした。でも時間は有限だから節約できたほうがいいですよね。とまた色々考える毎日です。

 

今日も停電夕方数時間ありました。でも大雨強風雷のため昨日に比べたら超快適でした。なかよしのクヤ(フィリピン語でお兄さん)も上裸で幸せそうに駆け回って雨を浴びていました。現在気温25度くらい。ただ、外で漂白してしていたサンダルのバケツ内に雨水がどぼどぼ流れ込み白くできずに終わりました。

 


今日の学び
・物ごとはスムーズにいかないのが世の常、日本ではスムーズにいきすぎる。世の中の郵便屋さんありがとうございます。

今日の疑問
・フィリピンの天気予報は日本の気象庁から100%データをもらっているらしいのですが、なんでこんなに天気予報があたらないのだろうか?逆に日本はなぜだいたい当たるのだろうか?違いはなんだろう。